全ては自己責任の罠

全ては自己責任の罠

成功哲学とかスピリチュアルに知識ばっかり詳しい人が陥る罠がある。

”全ては自己責任”

って概念だ。

すぐに他人に責任を押し付ける人は確かに成長がないが、だからと言って真逆の方向に全振りでこんな概念を盲信してもろくなことにならない。

不幸になると言っても過言ではない。

何故なら、この世界での出来事において”100%自分だけで完結していること”なんてかなり限られる。

おおよそ何かしら、どこかには自分以外の”他人”が関わりを持っていることばかりだ。

それら全ての出来事を、全部起きたのは自分の責任だ、自分に原因がある、などと思いこむのはよくない。

極端な例をあげれば、全ては自己責任論の行き着く先はいじめにおいて

”いじめられる側が100%悪い”

という、なんとも頭の悪い結論にたどり着く。

こんなことを言い出す奴は、たいてい自分がいじめられたことのない奴だ。

路上で通り魔に殺されても、そこをのんきに歩いていた人が悪いと言うのだろうか。

全ては自己責任論のよくないところは、”全て”と言い切ってしまっていることだ。

そんなことはない。

少なくとも、第三者が絡んでくる出来事においてはこう考えて欲しい。

全ての責任は50:50である。

自分だけが悪いなどということは決してない。

自動車事故を経験したことのある人ならわかると思うが、十ゼロでどちらか一方だけが悪くなるケースなどほぼ存在しない。

停車してる車に突っ込んだ場合くらいだ。

つまり、自分以外の人間が絡んでいる出来事においては少なくとも責任はフィフティフィフティである。

いじめ問題において、いじめられる側だけが悪いなどということがあるはずがない。

変えられるのは自分だけ、という法則に当てはめて考えるなら、いじめられる状況から脱出するために何か策を講じたか?

という点では、自分を振り返り打開策を見つけることはできるだろう。

ただ、”責任”とかいうものを必要以上に背負い込むことは不幸だ。

人の気持ちもわからずいじめ行為をしてくる人間が悪いのであって、それに絡まれたのも自身の不徳がいたすところだ、なんて重く考えるべきではない。

もちろん、予防策、その状況からの打開策は、自分が主体となって何か行動を起こすことでしか成し遂げることはできないので、それをしたかという点だけを意識すればいいだけのことである。

全ては自己責任なんてものを信じてしまうと、最悪の出来事が起きた時も自分の何がいけなかったんだ!

なんて、無駄なスランプに陥ってしまう。

悪い状況を招いた奴が悪いのであって、それが自分ではなく明らかに第三者が原因であったなら、悪いのはそいつだ。

自分は、その状況からいかに脱出できるかを考えるだけでいい。

その時、どんな状況であろうと”変えられるのは自分だけ”ということだけは自己責任を持てばいい話だ。

人生から悪いことなんてなくすことはできない。

そこからいかに早くリカバリーできるかどうかは、自分自身の行動力にかかっている。

あたかも成功哲学とかでさも当然かのごとく語られてる概念だが、”全て”なんてものを信じるのはやめたほうがいい。

何事もケースバイケース、臨機応変に思考も行動も変えていける人が強いのだ。

柔軟な思考、行動力を意識して欲しい。

教えることで銭儲けをしている奴は、宗教家と何も変わらない。

100%、絶対!

って言葉を使って例外を無くそうとしてくるが、何事にも例外はつきものだ。

それを見えなくしてしまう洗脳には気をつけてもらいたい。