ニート、ダメ人間を救えるのか?

ニート、ダメ人間を救えるのか?

結論:人による

では味気ないので、もう少し詳しく語ってみたいと思います。

かくいうわたくし、”キャリア”という面で見ると友人にろくな人間がおらず、ニート、万年フリーター、パチプロなど、社会的にみたら評価されない友人ばかりなのです。

まぁ、これらは俺が起業を志す前に出会った友人たちなので、類友の法則から行くと当時の俺の人間性にも問題がありまくっていたことも如実にわかるかと思います笑

で、俺の当初の願いは、友人たちと一緒に億万長者になってセミリタイアすること。

起業を志したばかりの頃に強く思っていたことは、一人で成功しても意味ないよな、ってこと。

自分だけ成功しても友達たちと価値観、ライフスタイルが合わなくなって自分が孤独だろうし、やっぱりお金持ち=成功、幸せってイメージだったから、友人たちと一緒に成功したいって願いがあった。

だから、そんなろくでもない友人たちを引っ張り上げようと躍起になってたことがあるのですよ。

一緒に勝ち組ロードに行こうぜ!って。

それこそ、このテーマにかれこれ6、7年は費やしていたかもしれない。

ゆえに語る資格があると思うのです。

ニートが人生変えれるか、というのは結局のところ人による、と。

そもそも、ニートという言葉の語源を知っているだろうか。

ニートとは、

”NEET【ニート】(Not in Employment, Education or Training)”

という英単語の頭文字を取ってできた言葉であり、働く気もそのために学ぶ気もトレーニングする気もない、という意味なのだ。

これは非常に問題である。

いくら俺が、頑張った先に最高の幸せがあるよ!

と、いくら熱弁しようが、学ぶ気すらないので当の本人からすると鬱陶しいだけなのだ。

聞く耳持たず、馬の耳に念仏というやつである。

まず最初のステップに、ここを超えられるかどうかがある。

しかしこんなもの、肝心の本人次第である。

外からあーだこうだ言ったところで微塵も効果はなかった。

ここに一つ、俺がニート救済に絶望する理由がある。

変わらなかった。

どんなに手を替え品を替え、言葉を変えたところで変わらないやつは変わらない。

それがたとえ友人であろうと、こんなにも言葉が通じないことがあるんだと諦めを通り越して感心したほどだ。

ではもし仮に、この最初の大いなる一歩をクリアできた場合はどうか。

そういう意味ではわたくし、ダメ人間の友人の数に事欠かないので笑

数々の実験結果の中にそういう事例もございます。

一生働くのは嫌でござる、って言ってた万年フリーター。

週に三日、半日くらいしかバイトしてなかったような友人を、一緒に大成功しようぜってその気にさせるのに成功したことはある。

が、しかし。

元より、”仕事することが嫌い”というろくでなしである。

成功するためとはいえ、何か努力しなければいけないことがそもそも継続できない。

馬と違って人間は、ニンジン程度の魅力ではマラソンを走りきることはできない。

つくづくそう感じる。

自分で様々な人間にいろんなことを試した果てに、俺は結局、絶望的なショッキングな出来事のみが、人を本当に変えるという結論に辿り着いた。

プラスでポジティブな手法で人を変えることができたらどんなにいいかとは思うが、やはり現実とはそう甘いものでもない。

自分自身を振り返ってみて、俺が本気で起業を決意しアクションを起こしたのは、本気の失恋が原因だ。

一世一代の大勝負の告白で玉砕したことが、俺の本気に火をつけた。

逆にいうと、やはりこれくらいショッキングなことを経験した人しか、結局のところ人生を変えられない。

いわゆる成功哲学みたいなものも無理だ。

欧米から入ってきた、たくさんのそういう団体と関わったこともあるが、あれも一種の宗教であり、何百万もする成功哲学を学んだ人でも大したことないのにたくさん出会ってきた。

つまるところ、ポジティブな手法で人生を変えることなんてできやしねぇよ、と、半ば俺はある種人類に絶望している。

クズはどこまで言ってもクズである。

そして、そんなクズの人間性が豹変するのは、恩師が死んだとか親が死んだとか大好きな彼女に振られたとか、こういう類のショッキングなイベントが必要だ。

これらの荒療治なくして、ダメ人間を真に覚醒させることはできない。

元より、”他人を変えることはできない。変えられるのは自分だけ”という格言もある。

これも本当に、その通りだと思う。

たとえ友人だろうと、その人の人生はその人のものであり、気づく時にしか気づけない。

他人を救うとかいう発想は持たないことこそが、最短の幸せ道だ。

とてもドライな意見に聞こえるかもしれないが、進んだ先でまた新しい同志には出会える。

それを信じて、旧友には潔く別れを告げましょう。

人生は別れがあるからこそ、出会いがあるものなのです。